第2章  エルゴノミクスで必要な人体の知識

2.1 人体の基本

人間は人体と言い換えられる。この人体のうちエルゴノミクスで重要となるのはまず筋肉、次いで骨である。両者を合わせて筋骨格と呼ぶ。図2.1では全身に筋繊維の固まりである、筋肉が見える。ここで人間の骨格とそれを取り巻く骨格筋について説明することはこの講義の対象外なので、それは解剖学や医学書に任せ、図2.1と2.3 は、エルゴノミクスで必要となる筋群と骨格のみを示している。なお、学校にある標本室の各種標本も参考にしてほしい。 図2.2 は、筆者が講義の際よく使用する等身大の医学標本である。

本講義で後に登場するものを2, 3紹介すると、肩の三角筋、腕の上腕二頭筋、それから大腿部のいくつかの筋肉、例えば大腿直筋、すねの前頚骨筋といったところである。背中にも色々な筋肉が走っている。三角筋前側も後側も同様に覆っている。腕には上腕三等筋があり、首筋からは脊柱起立筋が下に垂直におりている。これは立位を保つのに重要な筋肉である。また背中には広背筋が走っている、これは丁度我々がコンピュータを使ったキーボード作業を行う際に活躍する。尻には大臀筋、脚にはヒラメ筋などがある。脚はこうした筋肉全体で強い力を発揮するようになっている。このように人間の体は筋肉によって十重二十重に囲まれて骨格(図2.3)がある。

図2.1_主要な筋肉

図2.1  主要な筋

図2.2 腰部・臀部の筋群

図2.2 腰部の筋群

腿の骨、骨盤、腕、頭骸骨、背骨など、大きなものから小さなものまで人体は非常に多くの骨で形成されている。その骨と骨を連結する関節も、非常に多く存在する。腰椎と呼ばれる腰の部分、それからその上の背骨と呼ばれる部分、さらに上の胸椎と呼ばれる部分の上、頚椎に注目すると、頭骸骨の中に深く突き刺さるような形状をしている。正面から見るとあごの下から始まるように見えるが、実際には内部にまで深く突き刺さっている。骨の名称などは多岐にわたるので、ここでは代表的なものを書くに留める。

図2.3骨格の構造

図2.3 骨格の構造

図2.4 腰椎骨盤

図2.4 腰部の骨格

次に人間の向き、正面をどう定義するか。図2.5 のように、基本的には顔の付いているほうが正面である。これを表すため、エルゴノミクスから医学にかけての領域では、正中矢状という言葉がよく使われる。正中矢状とは、鼻先と頭の頂点、後頭部の中心を通る人間の頭の断面に対して垂直の方向を言う。またこの頭骸骨を正面から真っ二つに割るような面を正中矢状面と呼ぶ。同様に立位の図でも、正中矢状(せいちゅうしじょうめん)と呼ばれる。言い方を変えると縦方向ということである。

図2.5 矢状面

図2.5 正中矢状

人体の動きは骨と筋肉、いわゆる筋骨格がある目的に対し協調動作することで生じる。

図2.6 関節可動域

図2.6  関節可動域

関節は、どんな方向にも曲がるというわけではない。ある角度まで曲げると、それ以上は曲がらなくなる。例えば図2.6の上の図は、肩の関節がどのように動くかを表わしている。上側にはまだ動かせるが、下側は右腕の位置が限界である。これ以上背中側に回旋しようとしても、関節がいうことを聞かない。中央図に描かれた肘の場合、同右上の股関節の場合、右下の足首の場合、左下の膝の場合も同様である。このように関節はそれぞれ動かせる範囲に限界があり、それを関節可動域と呼ぶ。

2.2 可動域と作業域

本書の後半に、作業域という言葉が登場する。可動域が物理的に関節を動かせる範囲のことであるのに対し、作業域は楽に手を伸ばして作業することが出来る範囲のことである。 例えば、床頭台に」関して、物の取りやすさは手指の可動域が関係する。作業域は、操作域という場合もある。エルゴノミクスでは作業のしやすさ、言い換えれば楽に仕事をできるかが重要な研究課題なので、作業域をどのように測定するかも重要である。

図2.7身体・骨格・骨格リンク

図2.7  身体・骨格・骨格リンク

図2.7は色々な描き方をした人体を並べたものである。左のように肉体そのものといった描き方もあるし、微細な骨を付けた形で骨格を描く方法もある。こうした描き方にはそれなりに意味があるが、毎回このように細かい図を描くわけにもいかない。そのため時として3番目の図のように、線画で描くことがある。点は関節を表している。確認のため、4番目の図のように人体と重ねることもできる。このように表現の仕方にはさまざまある。

図2.8 矢印「入り

図2.8 椅子に腰掛ける時のスティックピクチャ

図2.8は先程の、骨格を黒丸の関節と棒で単純化して描いたものを利用して、椅子に腰掛ける人間を描いたものである。右から左へと時系列に沿い、座っていく過程を表わしている。上と下は別の人物である。個人差が出ていることが分かる。このような図はスティックピクチャと呼ばれ、人間の動きを単純化することで、生身の人間を見るのでは分かりにくいことを分かりやすくする。単純化することはその意味では大変重要である。次にリハビリテーションセンターでの応用例を示す。図2.9-1 と2 は、患者の歩行機能の評価の一部である。歩行時に両足の下方への圧力(force) を記録する床反力計(歪ゲージにより 力 とモーメントを計測する事が出来ます。直交するX、Y、Zの軸の力を用いて患者の歩行特性を記録した。単位ニュートン

床反力右片麻痺

図2.9 その1 床反力 右片麻痺患者  女性50歳 身長 152cm 45.5kg 踵なし運動靴

床反力ほぼ安定

図2.9 その2 床反力 右片麻痺患者  女性57歳 身長 153cm 48.1kg 踵なし運動靴

両方を比べると、図2.9 その2 の患者の方が良好であると言える。

2.3 人体の測定

エルゴノミクスは科学であり、工学である。そのため測定を行うことは、土台として非常に重要である。エルゴノミクスにおける測定には、二種類存在する。一つは人そのものの測定である。この場合には、例えば寸法などが重要な測定項目となる。もう一つは人と機械の相互関係の測定である。基本的にはこれがエルゴノミクスの重要な研究対象であるため、それを色々な形で測定することが重要となる。具体的に測定するものは以下の三つである。

1) 生理的な情報を測る

2) 行動や体のかたちを観察する

3) 寸法・働きや気持ちを測る

測定する対象はこのようになる。これを測定項目という形でまとめると以下の五つに大別される

測定項目

寸法・力・速さ・誤り・意見

先程もあげた寸法、人間が機械に及ぼす力、人間が反応する速さ、人間の誤り、それから先程もあげた気持ちが意見を聞くことで分かる。エルゴノミクスではこれらが測定項目として取り上げられる。測定の話は各章ごとに出てくる。

図2.10身長の変化

図2.10 17才の体格 100年間の変化 学校保健統計 (文部省) 2000.12.13

寸法は人間と機械の関係を示す上で重要なものなので、著者の研究室でも頻繁に人間の寸法を測っている。図2.10は珍しい統計データで、学校保健統計というものである。2000年に当時の文部省、現在の文部科学省がとったもので、人間の100年間の体格の変化が記録されている。17才の男子の平均身長は、1900年には157cmであるのに対し、2000年には170cmになっている。100年の間に約10cm伸びていることがわかる。これは大変なことである。この傾向は女性のデータにも共通している。体重も途中から急激に上昇していることが分かる。これを見てみると、男子で身長・体重の上昇率が急激に変化している時期がある。大体1950年前後である。女子にはそれがなく、ほぼ一定の上昇率を保っている。これは第二次世界大戦の終結後を表している。ここで男子の上昇率が特に急上昇している理由は、やはり終戦にともなって栄養状態が良くなったこと、そして食料も無い戦場で頑張っていた状態から開放されたことであろう。そうしたことがこのグラフから読み取れる。

それから脚の長さも伸びていることが下のグラフから分かる。こうした100年間の体格の推移とエルゴノミクスの間に、どのような関係があるのかという質問もあるかもしれない。それは人体の寸法が、人間と機械の関係に与える影響力の強さに関係している。例えば1900年頃に作った機械を現代人が使おうとすると小さすぎるかもしれない。それは人間の寸法が変化しているためである。従って新しく機械を作るには、もう一度人間の寸法から調べてみる必要があるので、こういったデータが重要となる。いずれお話するが、例えば椅子を作る場合にはどのくらいの寸法を基準に考えるかといった場面ではこのような過去のデータが非常に参考になる。

図2.11 下腿長の測定

図2.11 人体計測の例 下腿の長さ

図2.11は脚の長さを測っている場面である。この時は靴を脱いだ状態で、下腿の長さを測っている。被験者は、安定した台に載る。大腿と下腿がなす角度を90度とする。その際、足の裏が均等に床に付いていることとする。測定は、マルチン式人体計測器を用いるが、下腿の長さの場合簡便に巻尺などで行うことも多い。

人間の寸法に大小がある。著者は身長168cmで、成人男子の平均より低い。平均の人間がいるのにたいし、もっと大きい人も小さい人もいる。その呼び方であるが、100人中の50番目にあたる真ん中を、エルゴノミクスでは50%ile (パーセンタイル) と呼ぶ。図2.12の右が95%ile、左が5%ileである。5%ileというのは100人中小さいほうから5番目、95%ileというのは100人中小さいほうから95番目ということになる。これがエルゴノミクスでよく使われる人間の寸法の大小の表わし方である。

図2.12身長の大中小

図2.12 エルゴノミクスでよく使われる人間の寸法の大小の表わし方