(5)イギリスの椅子の黄金期

イギリスにおける椅子のデザインは、古くから欧州大陸諸国の影響を受け、また17世紀には中国趣味も加わりましたが、18世紀前半まではフランスの影響が圧倒的でした。それが18世紀の後半になると、逆にイギリス趣味がフランスを始め欧州諸国やアメリカにも目覚ましい影響をおよぼすようになります。この時期以降19世紀を通じて、イギリスは産業革命を経て資本主義を主導して世界を制覇しましたが、椅子の世界でも時代の流行の先端を駆けることになり、まさに黄金期を迎えました。

18世紀前期―中国の影響を受けたクイーン・アン様式

名称未設定 1

写真5.1 クイーン・アン様式の小椅子(2)

前記の黄金期のはしりの時期に当たりますが、健康的な座り姿勢を支持する椅子の機能に着目するJ.ピント(1)が注目したのはアン女王(1702-14年)の時代のクイーン・アン様式と呼ばれるデザインです(写真5.1参照)。
ギリシア・ローマ以降中世にかけて世界の先端を駆けた中国の椅子づくりの技術が、17-18世紀、折からの東インド会社を中心とした東西交易隆盛の波に乗って西欧に伝えられましたが、その影響をもっとも直接的に反映したのがこの様式なのです。腰椎の輪郭を模した背もたれのスプラット(平板)が特徴で、パッド(詰め物)入りの布張りがないにも拘わらず、座り心地がよいと評価されたといいます。

しかし、腰椎の自然なカーブを支え作業性にも優れた中国椅子の特徴は長く続きません。18世紀中頃には、美的感覚重視のデザインに取って代わられます。当時のデザイナーが漆塗りの技法に魅せられたこと、マホガニーの輸入税廃止(注1)を契機に彫刻家具が流行したこと、さらにはポンペイの古代遺跡発掘(注2)がギリシア・ローマへの回帰ムードを高めたことが、この背景になったと記されています。

18世紀後期―チッペンデール、ヘップルホワイト、シェラトンの様式(イギリス新古典主義の時代)

18世紀の中頃、フランスのルイ15世の時代に一世を風靡したロココの運動を受けて、イギリスに登場した巨匠がトーマス・チッペンデールです。彼は1754年に家具の専門書として最初の『紳士と家具師のための指針』を出版して、一躍この時代の最も有名なデザイナーになりました。彼のデザインは、当初はクイーン・アン様式に近いロココ調が基本でしたが、古典主義の復活も視野に入れた多様化の方向示しています。

こうしたデザイン教本出版の流れは、イギリスにおける新古典様式を『箱物家具師と室内装飾家の手引』にまとめたジョージ・ヘップルホワイト、さらにイギリス新古典主義の絶頂期に『箱物家具師と室内装飾家のための図案集』を刊行したトーマス・シェラトンに引き継がれ、その内容はヨーロッパ全土に広がっただけではなく、遠くアメリカの椅子づくりにまで影響を与えたといわれます。ただ、本稿のベースとした『椅子の文化図鑑』(3)と『A History of Seating』(1)の両書のいずれにも、残念ながらこれらの教本に基づいてつくられた椅子の実物の写真が掲載されていません。以下は教本の中から引用したいくつかの図案の例です。

写真5.2は、チッペンデールの代表作のひとつで、ジョージアン様式と呼ばれた時代のサイドチェア(小椅子)の代表例です。クイーン・アン様式の名残を感じ取ることができます。

5.2Chippendale side chair

写真5.2 サイドチェア/チッペンデールのデザイン(4)

写真5.3はシールドバック(楯型の背もたれ)の肘掛け椅子で、ヘップルホワイトの代表的なデザインとして知られています。

5.3Hepplewhite shield back chair

写真5.3 シールドバックの肘掛け椅子/ヘップルホワイトのデザイン(5)

この時期の椅子における審美性の追求は主として背もたれのデザインに集中しました。背もたれは、脊椎を支えるというより、装飾品を収める場所として扱われたのです。背もたれの外枠はシールドバック(楯型の背)の形とし、中央部分にはさまざまな図形の装飾が施されました。全体としては、直線構成に基礎をおきながらもこれに修正を加え、微妙な曲線を用いて柔らかで優美な感覚をもたせるという、新古典主義の作品です。写真5.4と5.5はいずれもシェラトンの作品ですが、写真5.4は、タブバック(浴槽型の背もたれ)と呼ばれる安楽椅子タイプの肘掛け椅子、

5.4Sheraton tubback chairs

写真5.4 タブバックの肘掛け椅子/シェラトンのデザイン(6)

写真5.5は、シェラトンが名づけたといわれるカンバセーション・チェア(談話用椅子)を示しています。

5.5Sheraton conversation chair

写真5.5 カンバセーション・チェア/シェラトンのデザイン(7)

カンバセーション・チェアは、背もたれとつながるところの座面が細めになっており、座り手は両脚を広げて座面をまたぎ、背もたれに向かって座るようにつくられています。

19世紀―擬古調から多様性の時代へ

フランス革命の後、欧州大陸ではナポレオンのエジプト遠征などもあってエジプト趣味が人気を博し擬古調が主流になりました(アンピール様式)。この時期イギリスは親フランスの皇太子ジョージによる摂政期(リージェンシー)に当たり、再びフランスの影響を受けて古典主義への明確な回帰を特徴としたリージェンシー様式の時代を迎えます。同時に、中国様式や漆塗りなどの日本趣味の導入、さらには籐張りの背もたれや座の採用、ブール象嵌細工など、多様性に富んだ内容になりました。

写真5.6はリージェンシー様式の応接間用椅子ですが、クリスモス・チェアの影響を見て取れます。

写真5.6 リージェンシー様式の応接間用肘掛け椅子(8)

カンバセーション・チェアは、背もたれとつながるところの座面が細めになっており、座り手は両脚を広げて座面をまたぎ、背もたれに向かって座るようにつくられています。

19世紀―擬古調から多様性の時代へ

フランス革命の後、欧州大陸ではナポレオンのエジプト遠征などもあってエジプト趣味が人気を博し擬古調が主流になりました(アンピール様式)。この時期イギリスは親フランスの皇太子ジョージによる摂政期(リージェンシー)に当たり、再びフランスの影響を受けて古典主義への明確な回帰を特徴としたリージェンシー様式の時代を迎えます。同時に、中国様式や漆塗りなどの日本趣味の導入、さらには籐張りの背もたれや座の採用、ブール象嵌細工など、多様性に富んだ内容になりました。

写真5.6はリージェンシー様式の応接間用椅子ですが、クリスモス・チェアの影響を見て取れます。

5.6

写真5.6 リージェンシー様式の応接間用肘掛け椅子(8)

写真5.7は、同じくリージェンシー様式によるスネーク・チェアの一対を示しています。擬古趣味を基調としながらも、デザインの斬新さを窺い知ることができます。

5.7

写真5.7 リージェンシー様式のスネーク・チェア、一対(9

多様性の流れは、社会意識の変化と相まって、様式からの脱皮の傾向につながります。ヴィクトリア女王の時代(1837-1901年)には、復古調を加味した折衷派の色彩を帯びて様式の混乱が起きたとされています。また、産業革命で機械生産が可能になりましたが、これが手づくりに代わって量産による粗悪品を生み出すという批判も起きました。これがウイリアム・モリスの提唱した、中世の理想としての職人技への回帰を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動になり、やがては19世紀末から20世紀初頭にかけて展開された、アール・ヌーヴォー(新しい芸術)と呼ばれる様式の誕生につながりました。これを境に20世紀の近代デザインに移行していくことになります。

カントリーチェア

イギリスの各地方で17世紀の後半から19世紀にかけて、田舎の人たちが使う目的で村の大工がつくったのがカントリーチェアと呼ばれる椅子です。その特徴は、使い勝手のよさであり、実用的であることです。多くの場合、単純なつくりで地味ながら、堅牢性と明快でシンプルな形が歴史的に高く評価されているといいます。これらは工場での大量生産とは無縁で、いずれも手づくりです。

その代表格がウインザーチェアです(写真5.8参照)。

5.8Windsor chair

写真5.8 ウインザーチェア(10)

カエデの一体ものでできたD字型の座面に、背もたれ部分のスピンドルや肘掛けサポート、それに脚や貫などはいずれも竹を模した形に旋盤加工されています。アーチ状の背もたれは曲げやすいヒッコリでできています。

ウインザーチェアという呼び名と独特のデザインの由来は定かではありませんが、一説には、イギリスのジョージ2世(1727-60年)が、ウインザー城の近くで狩りをしていたときに嵐に襲われて、避難した羊飼いの小屋にあったのが、それまで見たこともないデザインの手づくりの椅子で、王はその気品のある形態と座り心地を大いに気に入って、同じものをつくらせたのが始まりといわれます。マホガニー製の椅子が人気の時代に、イギリスの片田舎で誕生したこの質素な椅子は、アメリカに渡って大きな進化を遂げ、18世紀の中頃から19世紀の初めにかけてアメリカでもイギリスでも大流行しました。

ウインザーチェアは、何といってもその気品のあるフォルムに特徴がありますが、軽くて堅牢、その上安価だったので、ポーチでも、台所でも、あるいは屋根裏の小部屋でも、日常生活のいたるところに利用されたようです。背もたれの形が、上から見るとちょうど弓のように彎曲しているので、ボウバックチェアとも呼ばれます。

注1:1733年、英国でマホガニーの輸入税が廃止され、これを契機にマホガニーが高級家具材としてウォルナットに取って代わった。

注2:1737年と1747年に実施。

出典:

(1)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )

(2)      同上 p.107

(3)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)

(4)       J.Munro Bell: Chippendale, Sheraton, and Hepplewhite Furniture Designs―Reproduced and Arranged, Gibbings and Company, London, 1900 〈東京大学総合図書館所蔵〉p.2

(5)       同上 p.210

(6)       同上 p.137

(7)       同上 p.71

(8)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.158

(9)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.289

同上 p.97