室町時代 その1

勝楽寺(滋賀県)と佐々木道誉の椅子 2012.9.14

日本における古い使用例として一つの証拠があるのです。それが守護佐々木道誉の肖像画です。一度じかにみたいものだと思っていたところ、機会があったのでその肖像画のある滋賀の勝楽寺注1を訪れました。2009年7月ことでした。写真1この肖像画は椅子の研究者にとって、たいへん興味深い肖像画です。

注1 勝楽寺は、南北朝動乱期の近江守護職として、また室町幕府侍所所司を務める四職家の一つとして、当代に傑出した武将、佐々木京極道誉を開祖として、創建された。寺号は、道誉の名号勝楽寺殿徳翁道誉によって命名した。字名もまた明治の初め大字正楽寺と改めるまでは、勝楽寺と称していた。

佐々木導譽s

写真1 佐々木導誉 画像 重要文化財

この絵は、日本の歴史、特に中世を扱った本には、その写真が掲載されていることもあります。例えば、小学館の日本の歴史シリーズ 第七巻 安田 次郎著走る悪党、蜂起する土民には小さいが明確な写真が掲載されています。ただ、歴史学者でも実際に見たことのない人も多いのです。立場・興味の違いでしょう。それではなぜこの絵が、椅子の研究者にとって重要かというと、佐々木道誉がなんと椅子に座っているからです。この肖像画は、生前に描かれたことがわかっております。三男高秀な道誉の還暦に筆をとり(他の人に描かせたとも言われている)描いたそうです。絵の上部には、端正な筆跡で、道誉、自ら讃を添えております。きっと本人大いに気に入ったのでしょう。実は勝楽寺にある肖像画は精密な複製です。本物は国立京都博物館に預託されております。国の重要文化財でもあり当然の処置と思います。

さてこれは、本人生前の肖像画ですから、今でいえばカメラで撮ったようなものです。だから、この絵で道誉が椅子に座っているのは事実であったといえましょう。

描かれた1366年は室町時代です。上記日本史の安田 次郎(やすだ つぐお)お茶の水女子大教授にうかがったのですが、当時は、日本でも、ずいぶん椅子は貴族の間では使われていたようです。

この時代は、かなり平和な時代で中国との交易も盛んでした。いわば舶来品のブームです。太平記などに、書かれている。道誉のばさらな行動からして、この椅子を自慢していたのではないでしょうか。目の当たりにみますとそんな道誉の気持ちが伝わってくるような肖像画でした。ところで、この肖像画の椅子は中国系椅子で曲禄注2と称されるものです。

注2 肘掛、背もたれ部分が曲線を描くことから曲録という。説法や法要に用いられる。

布のようなものが敷かれております。現代人も似たことをします。これついて住職奥山慶道さんは、おそらく礼拝に使うための1種のシートではないかとのことでした。

この絵は、日本の歴史、特に中世を扱った本には、その写真が掲載されていることもあります。例えば、小学館の日本の歴史シリーズ 第七巻 安田 次郎著走る悪党、蜂起する土民には小さいが明確な写真が掲載されています。ただ、歴史学者でも実際に見たことのない人も多いのです。立場・興味の違いでしょう。それではなぜこの絵が、椅子の研究者にとって重要かというと、佐々木道誉がなんと椅子に座っているからです。この肖像画は、生前に描かれたことがわかっております。三男高秀な道誉の還暦に筆をとり(他の人に描かせたとも言われている)描いたそうです。絵の上部には、端正な筆跡で、道誉、自ら讃を添えております。きっと本人大いに気に入ったのでしょう。実は勝楽寺にある肖像画は精密な複製です。本物は国立京都博物館に預託されております。国の重要文化財でもあり当然の処置と思います。

さてこれは、本人生前の肖像画ですから、今でいえばカメラで撮ったようなものです。だから、この絵で道誉が椅子に座っているのは事実であったといえましょう。

描かれた1366年は室町時代です。上記日本史の安田 次郎(やすだ つぐお)お茶の水女子大教授にうかがったのですが、当時は、日本でも、ずいぶん椅子は貴族の間では使われていたようです。

この時代は、かなり平和な時代で中国との交易も盛んでした。いわば舶来品のブームです。太平記などに、書かれている。道誉のばさらな行動からして、この椅子を自慢していたのではないでしょうか。目の当たりにみますとそんな道誉の気持ちが伝わってくるような肖像画でした。ところで、この肖像画の椅子は中国系椅子で曲禄注2と称されるものです。

注2 肘掛、背もたれ部分が曲線を描くことから曲録という。説法や法要に用いられる

布のようなものが敷かれております。現代人も似たことをします。これついて住職奥山慶道さんは、おそらく礼拝に使うための1種のシートではないかとのことでした。

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