(2)中世からルネッサンス期の椅子

椅子と玉座が同義語だった中世

5世紀後半に西ローマ帝国が崩壊するとヨーロッパの政治が一挙に不安定になり、社会が荒廃して、人々の生活水準が低下しました。家具に対する関心も薄れ、城や寺院、それに貴族の家庭を除いて、一般の家庭で椅子が使われることはほとんどありませんでした。このため、何世紀にもわたって、椅子の機能性に関する改善が図られることもなかったのです。

封建制度が発達して君主の権力が絶対のものになり、椅子は封建的支配の象徴とされました。一方で教会の力が増し、法王の支配力が強化されました。椅子は、こうした帝王や聖職者に愛用された家具で、この時代には、「椅子と玉座はほとんど同義語だった」といわれています。

写真2.1は、ラヴェンナのマクシミアヌスの司教座で、6世紀のものです。この豪華な椅子は、ビザンチン様式の木製で、象牙の彫刻が施されたパネルがついており、当時の支配者の椅子としてほぼ完璧なものとされています。

写真2.1マクシミアヌス司教座ss

写真2.1 マクシミアヌスの司教座(1)

写真2.2は、聖ペトロが使用したといわれる司教座で、バチカンの重要な聖遺物です。カロリング王朝(840-866年)のシャルル1世の王宮でつくられた、軽くて均整が取れた玉座です。

写真2.2聖ペトロ司教座ss

写真2.2 聖ペトロの司教座(1)

このような玉座の他に、ローマ時代の大官椅子(セラ・クルーリス)から受け継がれた権威と結びついた、X型の折りたたみ椅子(ファルドスツール)がありました。写真2.3は、「ダゴベールの椅子」としてよく知られています。フランク王国を最初に統一したダゴベール王(605-39年)の椅子ですが、ブロンズ製鋳物でできています。このタイプの椅子は、神聖さと儀礼を重視したフランス王室のイメージに適合し、X型の玉座として権威の象徴とされました。後年、フランスの統治者が何代にもわたって、この椅子の改訂モデルをつくり、戴冠式の椅子としたといいます。また、ナポレオンがレジオン・ドヌールの大勲章の授与式に用いた様子を描いた絵画も紹介されています。

写真2.3ダゴベールの椅子のコピー

写真2.3 ダゴベールの椅子(2)

新たな心地よさを見いだしたルネッサンスの椅子

15世紀に入って、イタリアでは社会がより安定し、人々は古代ローマの文化を知るようになり、より心地よい生活の質が出現しました。イタリアのフィレンツェに端を発したルネッサンスの始まりです。

新たに見いだされた心地よさと衛生状態のよさを示す1つの証しが、シェーズ・ペルセ(chaise percee、穴あき椅子)と呼ばれた、トイレ用椅子の登場です。これは持ち運びができる、コンパクトな箱型のスツールの形をした室内用便器です。やがて17~18世紀、ヴェルサイユ宮殿を中心とした宮廷文化が華やかな時代には、ダマスクやビロードの張り装飾をした便座に、金のレースや金箔の鋲打ちを施すなど、トイレ用椅子の豪華さを競うことになります。しかし、残念ながら当時の実物がほとんど残っていないようで、『椅子の文化図鑑』にもそのものずばりの写真は載っていません。写真2.4は、1895年頃の「穴あき椅子」のカタログから取られたものですが、すでに贅沢さに代わって実用性が重視されています。ただ、こうしたトイレ用椅子の出現もルネッサンス期に端を発していたのです。

写真2.4穴あき椅子

写真2.4  穴あき椅子の例(3)

この時期、椅子はより軽快になり、洗練されたものになりました。シェーズ・ア・ブラ(chaise a bras)と呼ばれる、軽くて移動が可能な椅子も現れました。権力の象徴としての椅子は姿を消し始めたのです。写真2.5は、「カクトワール」と呼ばれる、15世紀後半の代表的な椅子です。この名称は、フランス語の「おしゃべり」の意に由来し、婦人がこれに座ってうわさ話に熱中するなど、好きなだけ話を楽しむための椅子なのだそうです。台形の座面は、当時のゆったりとしたスカートを上手く収めることを意図したデザインになっています。

写真2.5カクトワールのコピー

写真2.5 カクトワール(おしゃべり椅子)(4)

この時期には旋盤技術が発達して、椅子づくりの技術も急速な発展をとげたとされていますが、椅子が使われたのは、もっぱら、貴族や限られた裕福な家庭だけで、一般に普及するまでには至っていません。また、健康的な座り姿勢を支持する座具としての椅子という、J.ピントの視点からみたときには特筆すべき進展が見られなかったので、『A History of Seating』には中世からルネッサンスにかけての記述がほとんどありません。

出典:

(1)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.54

(2)      同上 p.58

(3)      http://www.aromageur.com/2006/0612/culture.html

(4)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.72

(完)

« 前のページに戻る