(1)古代の椅子―エジプト・ギリシア・ローマの椅子

1)古代の椅子―エジプト・ギリシア・ローマの椅子

座り手のタスクをアシストしたエジプトの椅子

写真1.1 エジプト第18王朝時代のスツール (1)

やはり古代エジプトが、スツールを含めて椅子と呼ばれるものの発祥の地とされ、すでに紀元前3000年頃の初期王朝時代に、前傾座面をもった玉座が存在しました。紀元前2000年代の中頃には、背もたれつきの椅子も登場します。当時の椅子デザインの基本は、座り手のタスクをアシストすることであったといいます。

彫刻を彫ったり、大工仕事をする職人たちには、背筋を伸ばした前傾姿勢が適しているので、ごく自然に前傾座面が使用されました。さらに、彼らは、仕事をする対象物に合わせて座面の高さを変えたり、脚を外側に開いて安定感をより高めたり、臀部の形に合わせた凹面の座面まで考案していたといいますから驚くばかりです。写真1.1は、エジプト第18王朝時代(BC1570年頃-1293年頃)のスツールですが、旋削品に似た曲がり脚、象牙の筋かい、それに象嵌細工まで見ることができます。

図1.1 玉座に座るセソストリス王(2)

前傾座面は当時の高貴な要人の椅子にも採用されました。図1.1は紀元前1900年頃のセソストリス王が玉座にすわっている様子を示していますが、アップライトな背もたれと前傾した座面が特徴的です。

アップライトな姿勢は生命力と自信を示すという伝統があり、王族につながる高貴さの象徴でした。直接的な証拠はないとしながらも、直立姿勢を楽に保持する手段として、前傾した座面が生み出されたという説が紹介されているのは興味深いことです。

前傾座面については、大腿部を前傾させることによって、下から見上げたときに身体的なプロポーションがよくなり、座り手が神々しく上方にそびえ立つ印象を与えるという効果がありました。さらに輪廻再生思想の中で、座面の前傾は食べ物を求める前向きの動き、すなわち再生の象徴であるという宗教的な理由もあったとされています。

リラックス感を与えるために、背もたれを僅かにリク

写真1.2 第18~19王朝時代のエジプトの椅子(3)

ライニングさせる工夫も見られますが、その場合でも直線的なデザインが基本です(写真1.2参照)。このように、一貫して背筋をまっすぐに立てた座り姿勢を支えるのがエジプトの椅子であり、脊椎の後湾を防ぐ効果があります。機能的に健康で正しい座り姿勢をサポートしたと考えられますが、当時、座り姿勢と健康とを関係づける医学知識があったわけではなく、結果的にそのようになったと考えられています。

地位の象徴としての優美さを優先したギリシアの椅子

写真1.3 ヴィラ・ケリロスにあるクリスモス椅子(4)

紀元前7世紀から前6世紀にかけて、このエジプトの椅子文化を取り入れたのが古代ギリシアでした。しかし、ギリシアは、前5世紀に文明開花の黄金期を迎え、椅子のデザインについてもギリシア独自のフォルムを開発して、革命的な変化を起こすことになります。前傾した座面は姿を消し、直線的な背もたれは曲線的な凹型のものに替わりました。その代表がクリスモス椅子(klismos chair)です(写真1.3参照)。

クリスモス椅子は、安楽で自然な座り姿勢を支えるとともに、見た目に調和のとれた美しさを与えることを意図したデザインになっています。また、リクライニングした背もたれにゆったりと座る姿勢はステイタスの象徴でもありました。この優美な曲線的なデザインは、後世の椅子、とくに18世紀以降こんにちにいたるまで、西欧の椅子デザインのベースになったという優れた作品です。

しかし、椅子に座ってタスクをこなす作業性ということになると、凹面のリクライニング型背もたれはまったく適していません。椅子は、それに座って、絵を描いたり、文章を書いたり、あるいは楽器を演奏するなど、前傾姿勢で行うタスクが多いのですが、そのようなときに、クリスモスは座り手の身体をしっかり支えることができません(図1.2参照)。

この時代、医学の分野でも、ヒポクラテスに始まって、多くの著名な医師が輩出しました。クリスモスに座ったときの猫背の姿勢が腰痛の原因になることが知られていた証拠も見つかっています。しかし、当時の医学は、坐姿勢における健康的な脊椎の形を正しく理解しておらず、あくまで座り手の地位の象徴としての美しさを追求したのが古代ギリシアの椅子でした。

セラ・クルーリスに代表されるローマの椅子

図1.2 クリスモス椅子にかけた竪琴の演奏(5)

ローマ人はギリシア人を大いに賞賛し、椅子や家具についても、紀元前146年にローマがギリシアを支配した後もギリシアのデザインを積極的に取り入れました。したがって、全体的にはギリシア時代の延長といえますが、次の二つの点で新たな進展がありました。

写真1.4 セラ・クルーリス(大官椅子)(6)

一つは、スツール、とくに折りたたみスツールがいたるところで愛用されたことです。その代表格がセラ・クルーリス(sella curulis)ですが、日本語名で大官椅子と呼ばれ、元老院議員や判事が使った特別のスツールです。写真1.4は、4世紀初頭にローマの裁判所判事が使ったという大官椅子です。鉄製の脚には金、銀、赤銅の象嵌模様の装飾が施され、クロスジョイント部ならびに脚と座面の接続部には、ブロンズに銀箔を施した獅子の頭の浮き彫り装飾を見ることができます。

もう一つは、ギリシア時代からあったカウチ(長椅子)がローマの家具の愛用の逸品になったことです。これはローマの家庭のなかで最も高価な家具とされ、ダイニングルームに3つのカウチを互いに直角に配置するのが慣例だったといいます。このカウチに掛けて行われた晩餐会がローマ人の大切な社交の場であったようです。

ローマのカウチは、今日のベッドの形だったということですが、残念ながら完成形の写真が載っていません。また、ローマ時代には、J.ピントの視点からみたときには特筆すべき進展が見られなかったので、『A History of Seating』にはローマの記述がありません。

出典:

(1)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.16

(2)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.35

(3)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.17

(4)     同上 p.26

(5)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.58

(6)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.28              (完)

« 前のページに戻る